マッハ軒

ホワイトヘッドとか、鑑賞した作品についてとか

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第13回〉1-2-2 説明の範疇xiv

結合体と現実的実質 前回まで(第十三の説明まで)は主に現実的実質と抱握、そして永遠的客体についての説明であったといえるが、第十四の説明以降はより複雑な、あるいは中間的ともいえる概念が登場する。まず語られるのは「結合体(nexus)」についてである…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第12回〉1-2-2 説明の範疇ⅷ~xiii

現実的実質の二つの記述 第八の説明は以下のようになされる。 二つの記述が、現実的実質には要求されるということ。(a)一つは他の現実的実質の生成において、「客体化(objectification)」されるためのそのpotentialityへと分析するものであり、(b)今一つは、…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第11回〉1-2-2 説明の範疇Ⅴ~Ⅶ

Ⅴ~Ⅵ(前半)宇宙と現実の同一性を巡って まず前半部分 どのような二つの現実的実質も同一の宇宙からは決して生じないということ。もっとも、二つの宇宙間の相違は、一方の宇宙に含まれ他方に含まれていないいくつかの現実的実質のうちに、そして各現実的実…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第10回〉1-2-2 「説明の範疇」ⅰ~ⅳ

説明の範疇、27個、見ていきます。今回で全部追い切れるとは思ってませんが、まあじっくりやっていきたいです。 creatureとしての現実的契機 内容からして、説明の範疇は幾らかのまとまりに分けられると思う。もちろんそれらは相互に連関しているのであろう…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第9回〉1-2-2 「窮極的なものの範疇」とか

第二節は、構図の中身としてホワイトヘッドが掲げるところの「範疇」(categories)が明確に示される箇所である。ホワイトヘッドは殊に、これら諸範疇の「適用可能性」(applicability)と「十全性」(adequecy)をここでも強調しており、その意味は、(これまでの…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第8回〉1-2-1

範疇の構図(the categoreal scheme)と題される第一部第二章は、有機体の哲学における「観念の素描」(sketch)であることがまず確認されねばならないだろう。序文でも、第一部における「要約的陳述」は、実際に経験的な諸問題を検討し、そこに整合性を見ていく…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第7回〉1-1-6

「目的」と「選択」、その過程としての現実 この節はホワイトヘッド哲学全体にとって重要となるかもしれないモチーフが提出される。それは端的に言えば経験される現実世界における「目的」に適った「選択」、あるいは「解釈」といったものであるといえよう。…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第6回〉1-1-5

言語表現の欠陥と命題 第五節の主題は、言語という表現*1について、特にその形而上学における「道具」としての不完全性であると解されるだろう。ホワイトヘッドは、「経験された事実についての人類の一般的合意が、言語に最もよく表現されること」を認めたう…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第5回〉1-1-4

この節は主に、科学と哲学との関係、あるいは際について語られる個所となっている。しかしながら私としては、ここにおけるホワイトヘッドの主張には当初少しビビってしまった。それは「そんなことまで言えてしまってよいのか?」といったたぐいの疑念であっ…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第4回〉1-1-3

第三節でも、哲学という手法そのものについてのホワイトヘッドの省察が続々とくわえられていく。第二節でも見たように、哲学的な学説は「テスト」、つまり現実との適応可能性の審査によって順次改訂され得るものであり、そこにおいてこそ一般的真理体系とし…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第3回〉1-1-2

哲学者は、前回見たような思弁的構図、つまり十全で不可避的に我々の経験に例示されるところの形而上学的原理の究極的な定式化を「決して望むことはできない」のだという主張から、第二節は開始される。そしてその不可能性の原因としてホワイトヘッドは「洞…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第2回〉1-1-1

今回から主文に入ります。頑張ります。 とはいえ、どのように進めていこうか。この本は最も大きな区切りとして合計5部からなり、そこにそれぞれ含まれる章数は25、もっとも小さな区切りである節に関して言えば、合計155節ある。当初は章ごとに進めていこうと…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第1回〉序文から

この『過程と実在』という本が、「この講義は、デカルトに始まりヒュームで終わった哲学思想の局面へ回帰することに基づいている」という宣言から始まっているという点は、やはり注意すべきではないかと私は思う。ホワイトヘッド自身、序文において「17・18…

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第0回〉

ホワイトヘッドという哲学者は、なかなか奇特な存在として見られがちであるというのが私の率直な所感である。*1彼の哲学史における立ち位置を正確に示すことは私の力量をゆうに超えてしまうからここでは避けるが、しかし単なる私の印象として、彼が一般的に…