2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧
この節は主に、科学と哲学との関係、あるいは際について語られる個所となっている。しかしながら私としては、ここにおけるホワイトヘッドの主張には当初少しビビってしまった。それは「そんなことまで言えてしまってよいのか?」といったたぐいの疑念であっ…
第三節でも、哲学という手法そのものについてのホワイトヘッドの省察が続々とくわえられていく。第二節でも見たように、哲学的な学説は「テスト」、つまり現実との適応可能性の審査によって順次改訂され得るものであり、そこにおいてこそ一般的真理体系とし…
哲学者は、前回見たような思弁的構図、つまり十全で不可避的に我々の経験に例示されるところの形而上学的原理の究極的な定式化を「決して望むことはできない」のだという主張から、第二節は開始される。そしてその不可能性の原因としてホワイトヘッドは「洞…
今回から主文に入ります。頑張ります。 とはいえ、どのように進めていこうか。この本は最も大きな区切りとして合計5部からなり、そこにそれぞれ含まれる章数は25、もっとも小さな区切りである節に関して言えば、合計155節ある。当初は章ごとに進めていこうと…
この『過程と実在』という本が、「この講義は、デカルトに始まりヒュームで終わった哲学思想の局面へ回帰することに基づいている」という宣言から始まっているという点は、やはり注意すべきではないかと私は思う。ホワイトヘッド自身、序文において「17・18…
ホワイトヘッドという哲学者は、なかなか奇特な存在として見られがちであるというのが私の率直な所感である。*1彼の哲学史における立ち位置を正確に示すことは私の力量をゆうに超えてしまうからここでは避けるが、しかし単なる私の印象として、彼が一般的に…