マッハ軒

ホワイトヘッドとか、鑑賞した作品についてとか

フランク・キャプラ『毒薬と老嬢 』(1944)感想

 戯曲ではなくキャプラが脚色した映画の方を観た。これはおもしろい。新婚旅行を控えた主人公が叔母の家に挨拶に行くのだが、その家を取り巻く環境がなんとも狂気的で、それでいて当人らはその狂気など気にもせず幸福そうにしているのがおかしい。主人公はそこでまあ様々な事情にとらわれていくのだが、降りかかる出来事の物量と内容がとにかく尋常ではない。それでいてその進行は残酷なまでに軽く、小気味良い秩序を形成している。複雑な因果関係とか心理描写などはなく、淡々とおかしな出来事が連鎖していく様が良い。

 それぞれの出来事に重要性の差異がない感じが、ある意味での客観性を生んでいる気がした。喜劇にとって重要な感覚として、「引いてみている感じ」があるという話を以前友人としたことを思い出した。展開が重層的だったり描写が濃密であるということはなく、寧ろ劇中を通して、レイアウトやくだり(やりとり)に同型性が認められることが、独特のリズムとおかしさを生んでいる気がした。

 あと一番好きだったのは、自分のことをテディ・ルーズベルトだと信じている主人公の兄弟だ。彼は常に同じようなくだりに登場するのだが、それがハズレ無しのおもしろさだった。彼にとって周りの出来事は全て国家に関わることであり、周りの人物のこともアメリカ政府の要人として理解している。自分の家の階段を登ることを「要塞侵攻」だと思い込んでおり、駆け上がりながら「突撃!!Charge!!」と叫ぶシーンは本当に気に入った。彼にとっては本当にそうなのだ。