マッハ軒

ホワイトヘッドとか、鑑賞した作品についてとか

原恵一『かがみの孤城』(2022)感想

 さっき映画館で見てきた。お客さんの入りはまあまあ、というか思ったより入っていた。中高生や子連れの人が多い感じ。監督の原恵一さんといえば『クレヨンしんちゃん』の映画シリーズを思い浮かべることと思うが、森絵都さんの『カラフル』をアニメ映画にしたりしていたりもする。

 久しぶりに「いい話」な映画を観た気がする。これは作品として出来が良いというわけではなく(この作品は決して悪くなかったけど)まとまっていてハートフルな物語だった、ということである。中学生たちの内面的な事情がファンタジックな出来事を通して回復へと向かう心地の良い物語であり、かつそのファンタジー要素がミステリ的な技法とがうまいこと結びついている感じだ。

 私より先にこの映画を見た知人が真田という登場人物への強めのヘイトを表意していたため、私はちょっと期待していた。そしてその真田が予想の八倍くらいやばかった。真田は端的に言えば主人公をいじめており、その心的外傷が原因で主人公は不登校になってしまうのだが、そのいじめが結構苛烈なものだった。初見ではこんなやばいやつがほんとうにいるのかよという印象だったが、そういう悪辣な存在が(あるいはフィクションではいまだ描かれていない、それをゆうに超えるような悪の権化みたいなやつが)現実に存在するのがいじめという現実を生じせしめているのだろうとも後に思った。

 私はたまに、私が中学生や高校生の時分にいじめとは言わないまでもある程度の心的ショックを他人に与えてはいなかったか急に不安になる時がある。当時の私は現在の私より良い意味でも悪い意味でも元気だったし、反省的でなかったから、なにかしでかしていてもおかしくないと思う*1。私は直接的ないじめの現場に居合わせたり、参加したりはしなかったと強く信じているけれど、それは自分のなした行為をいじめとか苛烈だとは認知していないだけかもしれない。

 話の展開としてはよくできていたというか、丁寧に作ろうというテンション感が伝わってきた。しかしこういうのは伝わらないほうがいい場合があると思っていて、それは作りが丁寧すぎて「あざとさ」が生まれている場合である。でもこの作品ではそんなことはあまりなかった。私は「伏線回収」とかが結構嫌いだけれど、多分それは作品を鑑賞した人が作品を評価するときに「この伏線気づいてた?ニヤニヤ」みたいな態度をとることが嫌いなだけで、物語に整合性を持たせることは誠実なことだと思う。

 でもよくわからないというか投げっぱなしでいいのかみたいなツッコミどころはある。結局孤城はリオンの姉が観念的なパワーで創造したってことでいいのか、その姉貴は死にそうになりながらどうやって病室から城に出入りしている(いた)のか。でもまあこの辺を詰めるのは愚かな哲学者の仕事かもしれない。

 でも本当にいい話だった。私は理想主義なところがあるから、ハッピーエンド自体はかなり好きな方だ。こういう作品は「教育的」とか言われうるのだろうかとか、真田のような人がこの作品を見るとどう感じるのだろうか、みたいなことも考えた。そもそも映画館に足を運ばないのかもしれないな、とも。

 

 

*1:もちろん現在進行系でしでかしてるかもしれないけども