マッハ軒

ホワイトヘッドとか、鑑賞した作品についてとか

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第26回〉1-3-1

欲求(apetition)と創造性の制約、永遠的客体の謎

 今回から第一部の第三章に(ようやく)入ります。この章はホワイトヘッドが言うには「派生的概念(some derivative notions)」の紹介のようですが、今回扱う「欲求(apetition)」*1という概念をはじめとして重要そうな記述も見つけられるだろう。

 まず引用から

神がその原初的本性(primordial nature)に関して世界に内在することは、現在における欲求(apetite)に基づいた未来への衝動である。欲求は、概念的に抱握された与件を実現しようとする衝動と結びついており、かつ直接的に与えられた物的感じに対する概念的価値づけに他ならない。例えば「渇き」は、それを癒すということの概念的抱握と統合された、直接的な物的感じである。

冒頭の神の原初的本性についてはまず措いておく。肝要であるように思われるのは、この欲求という契機は、ある種の複合性をもっていること、ホワイトヘッドの言葉で言えば「不純(impure)」であるという点であろう。つまり、端的に物的な感じでも概念的な感じではないということだ。

 例えば「渇き」においては、まず直接的に与えられた物的感じとしては、「渇いている」という事実問題のみが関与する。しかし実際に「渇き」を形成するためには、その事実が不足しているような物事(ここでは具体的には水分による癒しだろうが)がいわば理念的に必要になる。より本文に即して言えば、「渇いている」という事実の認識つまり物的感じが、不可避的に「渇きを潤す」という直接的には与えられていないものに対する概念的感じを含んで感じられるという事態がこの「渇き」であるということができよう。

 つまりこの欲求は、ホワイトヘッドの言葉を借りれば、「現在においては無いが、あるかもしれないものの実現」を含んでいる。しかしそうでありながらも、なおもその欲求が直接的実質であることには注意すべきだろう。このように考えると、直接的契機が創造性を「整序化(conditions)」するという記述も些か理解できるかもしれない。先の例で言えば、「渇き」の中に含まれる「癒し」という感じの存在によって、以降連続する未来の現実的実質は、可能な限り「癒し」を満たすような傾向を持つかもしれず、この意味において現実の進行に制約があるだろう。

 創造性*2は、原初的な意味においては無制約であるように思われる。端的に言えば、現実はどのように進行していくかについての確実な制約が何なのか、少なくとも私には言葉にすることができない。ホワイトヘッドによってこのことは、「遍くすべての永遠的客体が、いかにして現実に価値づけられるかが無制約」であることと同一視される。このことが「神の原初的本性」であるとも言われているのだが、まだピンと来ないところがある。))

 ともあれ現実的実質のレベルでは、少なくとも完全な無制約で進行しているわけではない。ある意味で諸実質は永遠的客体を「選択(select)」しており、そこにおいて問題となるのは諸永遠的客体の「関連性の度合い(graduation of the relevence)」であるといえよう。つまり、創造性の整序化が、いったいどのように行われるかの問題である。もっと言えば、それぞれの現実的実質がもつ形相的な構造が、どのようなものと関連のネットワークを展開しているかということである。先の例はその意味で単純であっただろう。渇きと癒しの関連は、直観的にも理解できる。しかし渇きの中に、「涼しさ」とか「水」とかとの関連は含まれるのだろうか。

 ホワイトヘッドはこの問いを以下の形で示す。「どのような意味において、いまだ実現されていない抽象的形相が関連性をもちうるのか。そのような関連性の基盤となるものは何か。」ホワイトヘッドの回答は曖昧である。それによれば、関連することとはいわば、諸永遠的客体の「調節(adjustment)」であり、それは「対向(aversion)」と「離向(adversion)」という欲求的な形をとっているという。このことによって永遠的客体の諸関係は整序化され、その実質が取り得る関連性が制限されるのだろうが、具体的な内実は目下よくわからない。ホワイトヘッドはこのような創造性を制約することも「神の原初的本性」と考えているようだが、これは先述した内容と矛盾しないのだろうか。このことに関しては、実際に現実的実質にとって永遠て客体がいかに価値づけられるかは無制約であるが、その価値づけの可能性、つまり実質が取り得る関連性のある永遠的客体の構造、ネットワークは制限されている、という主張で対処できそうだ。しかし、となるとその制限は一体どんなもんなんじゃいという問いに、また帰着することになる。

*1:ライプニッツの『モナドジー』を参照とのこと。確かに第十五節に「一つの表象から他の表象へ、変化や移行を引き起こす内的原理のはたらき」として欲求が紹介されている。

*2:

timaeus.hatenablog.com