マッハ軒

ホワイトヘッドとか、鑑賞した作品についてとか

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第20回〉1-2-3 範疇的拘束ⅰ~ⅲ

主体的統一性の範疇と両立可能性 

 九つある範疇的拘束は、これまでの説明の範疇の内実をより具体的にまとめている。以降参照されることが多いのも、ここで挙げられる諸範疇である。

 第一の範疇であるところの主体的統一性(subjective unity)の範疇は、説明の範疇ⅱやⅳと対応しているといえる。*1生成しつつある当の現実的実質、すなわち抱握の主体となる現実的実質は、確かに「未完結(imcompleteness)」であり、その故に「未統合(unintegrated)」である。しかしその主体が生成過程で自らの内に抱握し得る限りの実質は、まさにその主体において成立し得るという条件によって制限されている。つまり、当の主体において抱握され得るものは、相互に「両立可能(compatible)」であるといえるだろう。

客体的同一性、多様性

 第二の範疇でいわれるのは、ある実質における「客体的同一性(objective identity)である。実質が客体化されることを通して、つまり他のある一つの実質に抱握されることを通して同一性を保持し続けることがここでいわれている。注意すべきであるのは、ここでいわれている同一性が、ある実質の満足に寄与する「機能(function)」の同一性であるということであろう。

『満足』におけるその要素【現実的実質のこと】の機能に関する限り、重複(duplication)はあり得ない。

という端的な表現に示されるように、現実的実質の客体的同一性は、それが他のある一つの実質の合生とその完成に際してどのような意義、価値を持っているかによって判断される。*2

 この客体的同一性と、第三の範疇でいわれる「客体的多様性(objective diversity)は、矛盾なく両立するだろう。

満足におけるそれらの要素【現実的実質のこと】の機能に関する限り、「合体(coalescence)はあり得ない。ここで「合体」が意味するのは、さまざまな要素が、それらの多様性に内属するコントラストをもたずに絶対に同一の機能を行使するという観念である。

 むしろこの表現を見る限り、多様性はある意味で同一性を前提としているように思われる。それぞれの実質がそれぞれの同一性を保ち、かつ他の実質の機能との相互作用を行って多様な作用を生む。諸実質が他の実質と結びついて一つの機能を果たすのではなく、相互が差異化されたまま、寧ろ異なる実質同士が相互に変質させ合っているという事態が考えられる。

 しかしここで問題となるのは、この相互作用が起こった後、どのようにして実質の客体的同一性を確認できるかということである。確かに、相互のコントラストを生むために相互の同一性は担保されていなければならないだろうが、そのコントラストによってある実質の満足に寄与するところの機能が変質してしまえば、果たして同一の機能を「首尾一貫」して果たしているといえるだろうか。

 問題は恐らく以下のように解決される。ある実質は、同一性を保った状態でそれ自身の機能をある実質の満足に際して発動する。この時点で客体的同一性は確保されており、そのような個々別々の、いわば「機能同士の相互作用」こそがコントラストであると考えられる。そこにおいてそれぞれが働かせている機能そのものは変質していない。ただそれらがそれらの機能を遺憾なく発揮するうえで、他の機能を抑制したり、あるいは強めたりすることで多様な効果を新たに生んでいるということは十分に考えられる。

*1:

timaeus.hatenablog.com

*2:このことから、当の実質の満足において持つ価値、あるいはそこで果たす機能がまったく同一であるような諸実質は、同一の実質であると考えられるだろうか。