マッハ軒

ホワイトヘッドとか、鑑賞した作品についてとか

ホワイトヘッド『過程と実在』〈第17回〉1-2-2 説明の範疇xix~xxii

「機能する(to function)」ということの意義

 第十九の説明では現実的実質と永遠的客体の二つの概念こそが根本的であり、他のコントラストや命題といった実質はその二つの中間的性質を持ち、その二つが「いかに相互に結び付いているか」*1を示していることが再度強調される。

 今回のメインテーマとなるのは続く第二十の説明であり、ここでいわれるところの「機能」は、これまで私が何度も何の気なしに乱用してしまった語でもあるが、ここでの用法には注意せねばならないだろう。

「機能する(to function)」ということの意味は、ある現実世界の結合体の内に含まれる現実的実質の決定(determination)に寄与する(contribute)ということである。したがって一つの現実的実質がもつ被決定性(determinateness)と自己同一性(self-identity)はともに、すべての実質が果たす多様な機能(functionings)の協働性(community)から抽象されることはできない。*2

 現実的実質の機能とは、それが現実的実質の「決定」に関わるという作用であるのだとここで理解される。さらに重要なことに、ある一つの実質が他の実質が果たす様々な機能によってある意味で決定されている限り、その実質はその実質のみによっては計り知れないということがここで確認される。その実質は不可避的他の実質の機能を被っており、その実質がまさにそれであるところの自己同一性は、その実質を超え出た領域にある他の実質によるなんらかの決定を加味しないでは考えられないのだというホワイトヘッドの主張がここで見られる。

 この決定性に関して、ホワイトヘッドは以下のように付言する。

「決定性」は「限定性(definiteness)」と「位置(position)」に分析されうる。ここで「限定性」とは、選択された永遠的客体を示す(illustration)ことであり、 「位置」とは諸現実的実質の結合体における相対的地位(relative satatus)である。*3

 すなわち、他の諸実質の機能により、当の実質が獲得する質、つまり永遠的客体がどのようにして選択されるかが差配され、またそれが結合体を成す際に受け入れる諸実質が、どのような程度で、どのような重要性をもってそこに含みこまれるかの布置*4もまた差配されるという主張がここに現れているように私には思われる。

実質の、それ自身に対する機能

 実質のこのような機能が、他の実質に対するものに限られないことには注意すべきかもしれない。むしろそれぞれの実質は、それ自身に対する決定を、先述したような他の実質からの被決定と切り離せない形で行っており、それはその実質にとって大きな重要性を持つのだということが第二十一の説明以降で強調される。

 ある実質は、それがそれ自身への価値づけ(significance)をもつとき、現実的(actual)である。このことは、現実的実質がそれ自身の決定に関して機能するということを意味する。こうして現実的実質は自己同一性(self-identity)と自己多様性(self-diversity)とを結び合わせている。*5

ここでいわれているのは、他の諸実質の機能に伴う被決定のみならず、そのような被決定によって制限された中において、そこに置かれる当の実質自身に関しての決定が執り行われているという事実であるだろう。当の実質は、諸実質を抱握しまたそれによって他の諸実質の機能を被る一方で、まさにそのような影響を受けるものとして自身を新たに価値づけており、まさにそのような形で現実的(actual)であることを達成している。

 続く第二十二の説明でいわれる「自己同一性を喪失することなしに、自己形成(self-formation)において様々な役割を果たす」こと、まさに「自己創造的(self-creative)」な現実的実質の性格はここから理解されうるだろう。種々雑多な機能を被るものとしての実質は、その限りにおいて様々な性格を持ちうる。そのような多様の中にあって、そこから自身を決定することは、まさにpotentialなものから自身の中に含みこめるものを自身の尺度で選択し適用することに他ならないであろう。まさにそこにおいては自身を形成する自発的な機能が見受けられるのであり、それこそが第二十二の説明でいわれる「転換(transformation)」であるだろう。現実的実質の「生成(becoming)」は、多を転換させることによって、一の中に、可能な限りで残存させて含みこむ過程であるという主張が、ここから見出されるであろう。

 

*1:現実的実質と永遠的客体はそれぞれ窮極的な単位とみなされるが、それらが完全に独立して存在すると考えられるかは、ホワイトヘッド哲学において肝要な問題となり得る。

*2:拙訳

*3:拙訳

*4:どれだけある実質が重視され、また他の実質は軽視されるというような、実質の階層化、レベル分けみたいなことが、当の実質の指向(aim)によってその内部で起こっているのではないか。階層や布置といったイメージには、以前ホワイトヘッドの「領分(quota)」という物言いに着目した際に触れました。以下参照。

timaeus.hatenablog.com

*5:拙訳。著作集版ではsignificanceは「意味づけ」と訳されていた。